オーペラペラ

オペラのエッセイブログ

パヴァロッティ 思い出すことども

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つい最近、ある歌手のドキュメンタリー映像を見た。アルバニア生まれ、2004年史上最年少の23歳でザルツブルク音楽祭にデビューしたという声よし、姿よしのテノールサイミール・ピルグ(昨年の新国立劇場でウェルテル!)。なんと、晩年のパヴァロッティ宅で稽古をつけてもらっていた。
亡くなってから10年以上、名前を聞くことはなくなったが、この映像で、かつて見たオペラなどが思い出された。

1990年ローマのサッカー・ワールドカップでのコンサート以来、パヴァロッティドミンゴカレーラスの3人は、三大テノールとして全世界に知られるようになった。テレビやオペラ映画や、レーザーディスクなどで彼らのコンサートや出演するオペラを見た限りでは、パヴァロッティは声はいいが演技力はどうかなあという印象だった。生の舞台を見たいとはあまり思わなかった(友人とよく話していたのは、デブはいや!ということだったのです)。

しかし、1993年、レヴァイン率いるメトロポリタン歌劇場の来日公演で初めて彼の舞台を見た。5月28日『愛の妙薬』、ネモリーノはもちろんパヴァロッティ、アディーナはキャスリーン・バトル。演目自体初めて見るオペラだ。
その恰幅のよさにはちょっと違和感があった。ネモリーノってワインを、恋を成就させる妙薬と信じてなけなしのお金をはたく、軍隊にまで入ろうとする、純朴で不器用な若者ではなかったか?それにしては・・・歩いていてもファルスタッフのようにお腹を突きだしてよちよちよたよた・・・

そして4年後の1997年6月、やはりメト来日公演の『トスカ』のカヴァラドッシ、トスカはマリア・グレギーナ。
メトの豪華な舞台装置には圧倒されたが、教会の祭壇画を描いているはずのカヴァラドッシが・・あれれ? 舞台上手、組まれた足場の手前にイーゼルを立ててキャンバスに向かう・・・パレットを手にしたカヴァラドッシは、トスカに向かって絵のモデルについて無邪気に話している。模写でもしているかのようで、もはや足場の階段は一段も登れなかったのか?

オペラの大衆化を目指すというパヴァロッティは精力的に世界をかけまわり、知名度も抜群に高まった。2006年のトリノ冬季オリンピックの開会式で歌うというのは当然の帰結だったのだろう。が、彼自身はもはやその気力も体力もなかったようで、断り切れずに会場に立ったという彼の姿は、顔面蒼白、見ていて痛々しいかぎりだった。
テレビ放映されたその姿、マントに身を包み、おそらく支えられていたのか、彼の十八番『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」を朗々と歌い上げた?!かに見えた。でも、実際は口パク、歌声も最もいい音源のCDによったという。
この時のフィギュアスケートで、荒川静香が日本女性初の金メダルを獲得、フリーを感動的に演じきって優勝、曲は「誰も寝てはならぬ」! 開会式でのパヴァロッティの熱唱に「運命的なものを感じた」と彼女は語っていた。
閑話休題―オリンピック開会式は、国威発揚とばかり、いわば有名人が必ず登場します。バルセロナではドミンゴだったそう、冬季のソチではネトレプコがオリンピック讃歌を熱唱! ひげを落としたゲルギエフ五輪旗を持って行進していました!)

パヴァロッティが亡くなった2007年の1月、ジェノヴァフィレンツェヴェネツィアと総勢6人でオペラの旅に出かけた。
最初のジェノヴァで、『ドン・パスクワーレ』を観賞した翌日、市内を散策。ここはコロンブスゆかりの港町で、ヴェルディの『シモン・ボッカネグラ』の舞台でもある。12世紀の聖堂、14世紀からの重厚・壮麗な建物群、美術館・・・、そしてさすが港町、さまざまな魚の並ぶ店、店、店。
冬の日は短く、宵闇迫るころ、港から延びる小路の辻辻に一人、二人、三人・・・とどこからともなく現れた女性が、その近くには目つきの鋭い男性が、これもまた一人、二人・・・
異様な?光景と雰囲気に、スカウトや拉致されないよう足早に離れた。

その夜はガイドブックで見つけた店、暗い中にひときわRistrante Zeffirinoとネオン輝くゼッフィリーノで夕食、広い店内は明るく、まわりの壁面には何やらサインがずらり・・・、オペラに出演した歌手たちは皆ここで食事をしていると。パヴァロッティもここをひいきにしていて、現地での公演があると、1日に2回は通ったという

後日読んだ、友人が書いた彼の伝記によると、1986年ジェノヴァのオペラ・カンパニーとの北京ツアーの際、中国には水もまともな食材もないと聞いたパヴァロッティがキャンセルすると言いだした時、同店のシェフたちは義侠心から、自分たちはもとより、水やパスタ、野采、ハム類、チーズなど食材はもちろん、パスタ鍋、調理道具、食器、オーブン、冷蔵庫にいたるまで北京に運び込んだという! で、その顛末は?・・・ご想像に任せます。

 

ウー Aki