オーペラペラ

オペラのエッセイブログ

アレーナ・ディ・ヴェローナの『アイーダ』

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2011年9月5日、サルヴァトーレ・リチートラが亡くなった。イタリア・オペラ界を代表するテノール歌手である。

私たちはその年の6月25日から7月23日までの約1か月間、イタリアに滞在、ヴィチェンツァという古い街に一室を借り、主にイタリア北部を旅したのだった。そして7月17日に、ヴェローナの円形劇場(アレーナ・ディ・ヴェローナ)で彼のラダメス(『アイーダ』での主役テノール役)を聴いたのである。リチートラ追悼の気持ちもこめて、そのコンサートの報告をしたい。

 

その夜は雨にたたられ、野外劇場の上演は2度中断された。パラパラとくると、合唱団員はさっさと舞台を引き上げたが、彼は天を仰いで、いかにも残念というふうに立ちすくんでいた。その姿に真摯なものを感じ、好感を抱いたものだった。中断・休憩をはさんで5時間余の長丁場を、彼は疲れも見せず歌い切った。強い、張りのある声は、衰えることはなかった。

 

リチートラは、同年秋のボローニャ歌劇場来日公演で、ヴェルディの『エルナーニ』のタイトル・ロールを歌うことになっていた。その9月18日のチケットを偶然手に入れた私は、また彼の美声を聴くことができると楽しみにしていた。その矢先、彼がスクーターの事故で危篤に陥っているとの報が届いた。彼との再会はあきらめざるを得なかったが、再び歌える日がくることを祈っていた。しかし、9日間の意識不明の末脳死に至り、家族は臓器の提供を申し出たという。無念というほかない。

 

ヴェローナヴィチェンツァから西に、電車で約1時間。人口約27万人の街である(ヴィチェンツァは11万人)。『ロミオとジュリエット』の舞台とされる街であり、フィレンツェを追放されたダンテが移り住んだ街でもあるが、何よりも古代ローマの円形劇場、アレーナ・ディ・ヴェローナで有名である。旧市街のほぼ中央に位置し、往時の姿そのままの、巨大石造遺跡である。これもまた壮大なレンガ造りのブラ門(1389年造)を通り抜けると、広やかなブラ広場に出る。その奥に、2千年間も変わらず建ち続けている、古色蒼然たるアレーナがあった。想像を超える巨大さ! 所々石垣が崩れ落ちているのも空恐ろしいような風情である。1786年にこのアレーナを訪れたゲーテは、次のような感想を書き記している。

 

「円形劇場は、すなわち古代の重要記念物のうち、私の見る最初のものであり、しかもそれは実によく保存されている。中に入ったとき、そしてまた上に昇って縁を歩きまわったときにはなおさらのことだが、私は何か雄大なものを見ているような、しかも実は何も見てはいないような、一種異様な気持がした。実際それは空のままで眺めるべきものではない。」(相良守峯訳『イタリア紀行』)

 

「一種異様な気持」という表現はよくわかる。そしてゲーテは人気のないアレーナを見て空虚感を覚えたようだが、私たちを取り囲む観客席には人が満ちていた。平土間のほぼ中央、前から6列目に陣取った私たちは、ローマ時代ならさしずめ剣闘士の立ち位置にいたといえるだろうか。この夜は6~7割くらいの入りで、満席になると2万2千人も収容できるという。ローマ時代、それほど多くの民衆がこのアレーナにつめかけたことになる。彼らはいったい、どのような階層の人たちだったのだろうか。

 

夏のイタリアは陽が落ちるのが遅い。21時を過ぎてようやく、あたりが闇に染まりはじめる。ヨーロッパでは、オペラや音楽会の開演時刻が遅いのだが、イタリアに来てはじめてその理由を理解した。19時ではまだ太陽の力は強すぎる。落ち着いて音楽を聴こうという気にはなれないのだろう。ここアレーナでも開演時刻は21時15分である。開演を告げる3度目のドラが嗚りわたる。いよいよ『アイーダ』の幕明けである。雲の厚さが気にかかる。

 

弦楽器が静かに序奏を奏ではじめる。その最初の響きを耳にして、私は驚いた。これが野外劇場の音? 音響についてはまったく期待していなかったのだ。野外である以上音は拡散する。とにかく雰囲気を楽しもうという気楽な気持ちでいた。それは見事に裏切られることになった。ラダメスの最初のアリア「清きアイーダ」も、リチートラの強靭な声がストレートに伝わってくる。

 

この夜のキャストでは、タイトル・ロール、アイーダ役のヘー・ホイもまた良かった。繊細さと強さを合わせもった、素晴らしいソプラノである。とりわけピアニッシモの美しさは比類がない。また、舞台全面に展開する合唱の迫力は、普通の劇場では経験しえないものだろう。左右の広がりはもちろん、石段の最上階まで舞台として利用し、迫力を高める。

 

壮大なアレーナにふさわしい、1913年のプロダクションに心を奪われているうちに、第1幕第2場の終わり近くでパラパラと雨。合唱団員と楽団員がまっ先に引き上げはじめる。舞台衣装や楽器が雨で濡れてはかなわないという気持ちはわからないではないが、この程度の雨で中断?というのが正直なところ。雨合羽の売り子が何人も観客席に現われる。幸い十数分で雨は止み、上演は再開。と思いきや、今度は本降りに。

 

「上演を続ける意志はあり、気象庁へも問い合わせを行っている。今しばらく待たれたい」というような主旨のアナウンスが流れ(イタリア語、英語、ドイツ語)、私たちは観客席下のドーナツ状の横穴に避難する。そこは結構広く、アーチの荒々しい石組みからは、ここが1世紀の建造物であるという事実を再認識させられる。人また人である。ワイン片手に談笑する人たち、疲れ切ったという表情でベンチに腰掛けている若いカップル。眠気覚ましにエスプレッソを注文する。待つこと約1時間、ようやく舞台は再開する。時刻は24時近くなっていた。

 

上空は、凱旋行進の場面まで保つだろうかといぶかる程、まだ厚い雲に覆われていた。しかしその懸念は杞憂に終わり、古代ローマの壮大な舞台を総動員したかのような派手やかな行進が、眼前に展開することになった。このオペラ最大の見せ場である。馬が何頭も登場し、昂揚感も高まる。

 

アイーダ』の素晴らしさは、ヴェルディの華麗な管弦楽にあることはもちろんだが、人間の心の機微を丹念に描いている点にもある。ラダメスヘの愛と祖国エチオピアヘの愛の相克に揺れるアイーダ。ラダメスとアイーダの愛に嫉妬の炎を燃やすエジプトの王女アムネリス。この2人の女性の心情を、深くかつ美しく描いている点では、第3幕以降が『アイーダ』の真の聴き所である。その第3幕に入る直前、上空の雲間から星が瞬きだした。「スター!」という声があちらこちらから聞こえる。デネブ、ベガ、アルタイルの、夏の大三角が確認できた。

 

もはや雨の心配もなく、私たちは終幕まで落ち着いてオペラを楽しむことができた。ちょっと残念だったのは、アムネリス役がいまひとつの出来だったことである。第4幕第1場の、アムネリスとラダメスの「対決」こそこのオペラの白眉だと思っている私には、物足りなさは否めなかった。ラダメスの命は助けたい、しかしアイーダは諦めてほしい、アムネリスは必死にラダメスに迫る。アイーダへの愛こそが生のすべてだと、彼はにべもない。音楽は激しく、また美しい。かつてビデオで観たバルツァとドミンゴの白熱の歌唱(2005年11月5日のウィーン国立歌劇場再開50年記念ガラ・コンサート)が脳裏に焼きついている私は、どの上演にももの足りなさを覚えてしまうのだが。

 

全4幕の幕が下りたのは午前2時半。ブラ広場に軒を並べるレストランにはまだ灯りが点っている。オペラの余韻を楽しみたいとも思ったけれど、さすがに疲れには勝てずホテルに直行。辛うじてシャワーを浴び、あとは泥のように眠ってしまった。

 

 

シモンJyunji